ドルニエDo31Eは、1967年2月10日に初飛行した。主翼下面に2基のロールス・ロイス・ペガサスを装備し、主翼端のポッドには補助用に4基づつR.R.RB162エンジンが垂直に収められていた。その後、1970年4月まで、NASAと共同で飛行実験が続けられた。
VFW VAK191B戦術戦闘偵察機は、フィアットG91の後継機として開発が進められたもので、2基のRB162エンジンを操縦席と主翼の直後に垂直に収めていた。しかし、RB162エンジンの推力が、僅かに2,500kgしか出せず、推力変向ノズルを持っていたものの、力不足だった。
実用のVTOL機 ヤコブレフYak-38フォージャーとホーカー・シドレーハリアー
 ソ連(現ロシア)のVTOL機ヤコブレフYak-38フォージャーは、実験機Yak-36フリーハンドから発達した戦闘攻撃機であるが、ハリアーとは異なり複数のエンジンを持つという点で、時代遅れのVTOL機と言える。この形式のVTOL機は、垂直離着陸時のバランスをとるのが非常に難しく、また、自重が重くなってペイロード(兵装搭載量)が減少してしまうという欠点がある。
 フランスは、独自の核戦略構想から、分散作戦用のV / STOL機をダッソー社に開発させた。ミラージュVIIIがそれで、胴体の中に垂直に埋め込まれたエンジンで上昇し、次いで水平エンジンを始動させて水平飛行に移るというものだった。より大型のドイツのドルニエDo31Eも同様の構想から生まれたが、この方式は水平エンジンを始動させるタイミングに神技的な技術を要求された。ミラージュVIIIでは、まず数百m垂直上昇をしてからダイブをして水平エンジンを始動させて、スピードを稼ぐ方法が考案された。
 このような複数エンジンによる役割分担方式から脱却した革命的な発想が、ベルX-14実験機だった。これは水平に装備した2基のエンジンからの推力を、偏向板によって自在に変向させるもので、垂直上昇から水平飛行への移行とその逆も、スムースに行うことができた。これとは別に、ホーカー社では大推力のターボファン・エンジンと推力偏向板を組み合わせて、単一のエンジンによるVTOL戦闘機を計画していた。「推力ベクトル変向」と呼ばれる方式が確率されたのは、ホーカーの研究機P1127によってであった。P1127では、当初搭載したエンジン、ロールス・ロイス社製ペガサスの推力が5,200kgと低かったため、機体構造をできるだけ軽減しなければならないという制約があった。つまり構造重量は5,200kgを越えてはならないのである。完成したP1127は、胴体中央にエンジンを置き、両側に前後2個づつの排気口を持っていた。ジェット排気は後ろの2つから排出され、前方の2つからは高圧空気が出されるため、前のものはコールド・ノズル、後ろのものはホット・ノズルと呼ぶ。
Yak-38フォージャー戦闘攻撃機は、推力変向ノズルを持った複数のターボジェット・エンジン方式である。現在、ソ連(現ロシア)海軍の巡洋空母に配備されているが、ハリアーのような軽快な機動性能は発揮できそうもないようだ。
西側で唯一の、そして世界で最も成功したV / STOL戦闘攻撃機であるホーカーシドレー・ハリアーには、様々なバリエーションがある。原型のP1127を発展させて、英・西独(現独)・米の3カ国で共同開発したケストレル、英空軍が採用したGR.1、エンジンを換えて機首にレーザー測距儀を装備したGR.3、これをベースにしたAV-8Aは米海兵隊とスペイン海軍が採用した。英海軍もGR.3を改造したシーハリアーFRS.1を採用し、スキージャンプ台も開発した。米海兵隊はAV-8BハリアーIIを開発し、英空軍もGR.5として採用した。
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