コンベアFY-1ポゴとロッキードFV-1サーモン
 アメリカ空軍と海軍は、それぞれ独自に垂直離着陸機の実用化に向けての検討を本格的に開始した。作業は1947年初頭から始められ、とりわけ海軍ではVTOL機を船団護衛戦闘機として使うことを考えていたため、メーカーに開発を急がせていた。海軍のVTOL戦闘機にはロッキード社とコンベア社が名乗りを上げ、コンベア社の計画案は1951年3月31日に、またロッキード社案はその3週間後に審査を受けた。両社の計画は偶然にも非常に似通ってはいたが、外形上の大きな相違は主翼の形状にあった。コンベアXFY-1はデルタ翼を採用し、ロッキードXFV-1は同社のF-104のような翼を付けていた。VTOL機には最適なターボジェット・エンジンが、当時は未発達でパワーも小さかったので、発動機には両社共にアリソンT-32ターボプロップ・エンジンを2基並列に繋げたYT-40-A-14を選び、それが叩き出す5,850軸馬力から発生する強力なトルクを打ち消すために、機首には直径4.8mという大きな3枚羽根のプロペラ2組、互いに逆方向に回転させるというコントラ・プロペラ方式を採用したのも共通していた。コンベアXFY-1には、操縦席と計器盤が45度回転して離着陸時のパイロットの姿勢を楽なものにしていた。
 巨大なプロペラ・スピナーの中には、パラシュートが収められており、上昇或いは下降時の事故に対処していた。翼端のポッドには、それぞれ20mm機関砲か2.75in.ロケット弾21発で武装することができ、射出座席も装備していたが、但しこれは高度60m以下での使用には危険が伴うのでパラシュートを使うことになる。XFY-1ポゴ(ホッピング)は、1654年8月に初飛行に成功したがこれは高度45〜60mぐらいまで垂直上昇したもので、本格的に水平飛行に移行できたのは11月4日のことだった。ロッキードXFV-1サーモンの方は、結局垂直上昇は行わず、飛行特性を調べるために長い降着装置を取り付けて、1654年6月16日に初飛行している。ポゴがこの方法を採らなかったのは、大きなフィンを抱えていたからで、本来ならパイロットが操縦に慣れるまでは通常の飛行形態をとるべきところだろう。結局垂直離着陸に成功したのはXFY-1ポゴだけで、ロッキード社の技術陣はホゾを噛んだのだが、もしロッキードXFV-1サーモンが計画を続行していたならば、通常の離着陸も可能な形態をとっていたので実用性はFVの方が高かったに違いない。ともあれ、コンベア社のテスト・パイロットであるコールマンが後に語るように、ポゴのVTOL…特に着陸は自動車をバックで車庫入れし、数センチの差で壁にピタリと着けるのと同じくらいに困難であったという。
 VTOL機に付き物の操縦の難しさと、米海軍の空母建造計画の進展、それにジェット艦上戦闘機の性能がアップしてきたことなどにより、米海軍による正式なVTOL戦闘機計画は結局中止が決定され、両機共に廃棄となった。
コンベアXFY-1ポゴは、たった1機製作されたのみだが、垂直上昇-水平飛行-垂直着陸に成功している。座席と計器盤は45度回転して、パイロットの水平感覚を維持するのに役立っているが、着陸には熟練した技術が必要で実用化のメドは立たなかった。コントラ・プロペラでトルクを打ち消し、大きなスピナーの中には緊急時用のパラシュートを入れていた。幸いにも、これを使用する機会は無かった。
ロッキードXFV-1サーモンは、1号機に続いて2号機も完成していたが、実際に飛行したのは1号機だけだった。だがそれも、垂直上昇ではなく離着陸用に通常の飛行機のような補助車輪を付けのことだった。サーモンには専用のトレーラーがあり、そこから発進するようになっていた。
コンベア社得意のデルタ翼は、前縁の後退角52度で、大きな垂直尾翼とベントラル・フィンを持っており、ベントラル・フィンの先端部は後に取り外された。エンジンには、5,850軸馬力のアリソンYT-40ターボプロップを使用し、排気は胴体後端から排出する。
ポゴよりも一回り大きいロッキードXFV-1サーモンは、エンジンとプロペラこそポゴと同一のものを使用しているが、外形はより洗練されている。主翼はF-104戦闘機のようなテーパー翼で、見るからに高速性能はありそうだ。尾翼を4枚に分けた為に、通常の滑走による離着陸も可能。

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